東京高等裁判所 平成6年(ネ)4663号 判決 1995年1月25日
控訴人
株式会社太昭興産
右代表者代表取締役
小林弘昭
右訴訟代理人弁護士
丸山幸男
被控訴人
東邦生命保険相互会社
右代表者代表取締役
太田清藏
右訴訟代理人弁護士
大高満範
同
井ノ上正男
同
辻雅子
同
水庫正裕
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人に対し、二億円及びこれに対する平成四年一〇月一七日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
本件控訴を棄却する。
第二 事案の概要
当審における主張を次のとおり付加するほか、原判決の「事実及び理由」第二に記載のとおりである(ただし、原判決二枚目裏九行目から一〇行目にかけての「診査を」の次に「すべきであるのにこれを」を加える。)から、これを引用する。
一 控訴人
1 商法六七八条一項但書にいう「過失ニ因リテ之ヲ知ラサリシトキ」とは、取引上必要な注意を欠いていたためにこれを知らなかったが、そのような注意を尽くせば知り得たであろうことをいうのであって、普通一般の開業医の有する知識をもって注意を尽くしたかどうかが判断の基準とされる。
2 GPT、GOT、ChE、ZTTなどの検査は、肝臓の炎症を知る検査であって、肝臓の働きを知るためのものではない。一般的に、慢性肝炎から肝硬変に移行した時点では、肝臓内の炎症も強く、GPT、GOTも比較的高い数値が続くが、肝硬変の進行とともに肝臓の炎症は治まり、GPT、GOTは低下してくる。したがって、肝臓の炎症を示す数値が異常でないからといって安心はできないのである。そうであるから、肝機能検査では、GPT、GOT、ZTTよりも、むしろ肝臓の働き具合を反映するビリルビン、アルブミン、コリンエストラーゼ、ブロトロンビン時間などの検査が重要になってくるのであり、結局は、肝臓病の確定診断のためには腹腔鏡、肝生検が必要なのである。また、ZTTの異常性が軽度のときは、必ず再検査すべきであるとされている。被控訴人は、これらの必要な検査をしていない。
3 本件においては、小林からの「有坂医師による検査では、保険加入が認められないと思われるので、その検査を白紙に戻してもう一度検査をして欲しい。」との申入れに基づき、被控訴人においては、検討の結果、送付されてきた有坂医師の診査報状によることなく、改めて被控訴人の社医である三石医師による検査を行うこととしたものであり、しかも、被控訴人は、その血液検査の結果、異常な数値があることを認め、これにより小林が加入しようとした保険金二億円の一時払保険につき、内規に忠実に一旦は加入を拒絶した事実があるのである。
4 右の事実に照らせば、被控訴人には過失があることはもとより、重要事実を知っていたとさえいえるのである。
二 被控訴人
1 福岡地裁小倉支部昭和四六年一二月一六日判決(判タ二七九号三四二頁)は、一般論としては普通一般の開業医の注意を基準にしながら、症状を告げられた開業医が発見し得た病歴が、これを告げられなかった診査医では発見し得なかった場合に、診査医の過失は認められないという趣旨の判断をしているが、本件は正にこのような場合に当たる。
2 控訴人が主張するように、GPT、GOT、ZTTなどの数値では、肝臓の異常が発見されないというのであれば、正にそれを発見するために、被保険者になろうとする者の正しい告知が必要であり、その故に法律でその告知義務が課されているのである。小林が悪質な告知義務違反を犯している本件では、控訴人の主張2には何らの意味もない。
3 小林からの再検査の申入れは、「医者の前に出ると、どうしても血圧が高くなる。また、有坂医師は血圧を機械で測定したため、数値が通常より高く出てしまっているはずだ。」というものであり、「通常よりも血圧が高く出てしまった。」との内容に終始していた。また、被控訴人が一旦「加入拒絶」の結論を出したことはなく、被控訴人の社医から「一時払保険であれば、(保険料についての特別条件が付加できないので)不可」という意見が出されたにすぎない。
第三 争点についての判断
当裁判所も、控訴人には告知義務違反があり、被控訴人には告知の対象となる事実の存在に気付かなかった点に過失があるとはいえないので、控訴人の請求は棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決の「事実及び理由」第三に説示のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決の付加、訂正
1 原判決三枚目表五行目の「小林は」の次に「、昭和一一年一〇月一日生まれであり」を、同九行目の「確定」の次に「診断」をそれぞれ加え、同裏三行目の「との診断を受け」を「と診断され」に改める。
2 同五枚目表九行目の冒頭から同行から一〇行目にかけての「出現し」までを「受けたところ、そのころから急激に病状が悪化し、発熱、腹痛、黄疸が出現したので」に、同行の「血圧」を「血液」にそれぞれ改め、同末行の「四」の次に「、ビリルビン4.4」を、同行の「そして」の次に「、小林は」を、同行の「かけて」の次に「の腹部エコー及び腹部CT検査の上、」を、同裏七行目の「秘し、」の次に「故意に」をそれぞれ加える。
3 同六枚目表八行目の括弧書きの次に「及び弁論の全趣旨」を、同裏八行目の「出ていた」の次に「(五〇歳代の男性の正常参考値は、A/Gが1.3〜2.0、GPTが七〜四〇、ChEが二二〇〇〜四七〇〇、ZTTが二〜一二である。なお、証人三石の証言によれば、GPTについては、三石医師は上限の数値を三五と認識しており、このため小林の数値が正常値からはずれていると判断したものと認められる。)」をそれぞれ加える。
4 同七枚目表二行目の「なかったため」の次に「、特別条件を付加することができないとの理由から、一旦は『契約不可』との意見が出されたが、最終的には、被控訴人の契約部長において、特別料金といっても最も軽いランクであったことを考慮し、本件契約に限り」を加え、同三行目の「認められた」を「認めることとした」に改め、同八行目から九行目にかけての「容易に」を削る。
二 当審における主張に対する判断
1 商法六七八条一項但書にいう過失は、保険契約者が告知義務に違反したにもかかわらず、なお保険取引上における衡平の観点から保険者を保護することが相当でないと考えられるような保険者の不注意をいうのであり、また、保険者の嘱託した保険診査医は保険者のために申込者の健康状態を知るための機関であるから、その悪意・過失は保険者の悪意・過失と同視すべきものである。ところで、右により保険診査医の過失が問題になるのは、申込者が告知義務に反し、事実の発見を故意に妨げ又は事実の発見に協力的でない場合であって、この点において保険診査医の立場は、患者から症状を告げられて積極的に診療を依頼される一般開業医のそれとは異なるのであって、両者の間になすべき検査の種類につき差違があるのは当然のことである。そして、保険診査医に過失がないというためには、一般開業医が診断を下すために行う全ての検査をすることを要するものではなく、保険診査医として、告知がなくても告知すべき重要な事実を通常発見することができる程度の検査をすれば足りるものと解するのが相当である(なお、要求される医師の注意力の程度については、保険診査医と一般開業医との間に差違がないのはいうまでもない。)。
2 証拠(乙三の1、2、証人三石洋一)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人においては、血液検査や心電図検査は特殊な契約申込者の場合以外はしておらず、また、生体検査まではしていないが、このことは保険診査においては一般的な取扱いであることが認められるところ、このような一般的な取扱いが保険診査の制度の目的に照らして合理性を欠くものとは認められない。そして、本件においては、保険金が一億五〇〇〇万円を超えるため、心電図検査及び血液検査をしたところ、心電図検査では異常がなく、血液検査において、ZTTだけが正常値を多少上回っていたほか、A/G、ChE、また三石医師の判断によればGPTが正常値を僅かに外れた程度であったにすぎず、他の検査項目上、小林の健康状態について何らかの異常を窺わせるような事情はなかったのであるから、被控訴人の診査医ひいては被控訴人が小林が慢性肝炎ないしC型慢性肝炎に罹患していることに気付かなかったとしても、このことにつき過失があるということはできない。
3(一) 控訴人は、肝機能検査では、GPT、GOT、ZTTよりも、むしろ肝臓の働き具合を反映するビリルビン、アルブミン、コリンエストラーゼ、ブロトロンビン時間などの検査が重要で、肝臓病の確定診断のためには腹腔鏡、肝生検が必要なのであり、ZTTの異常性が軽度のときは、必ず再検査すべきであるとされている旨主張し、証拠(甲三、四)には右の主張に沿う記載があるが、これは診療を依頼された一般開業医の診断に関する記述であって、保険診査医による診査について妥当するものとは考えられない。
(二) 控訴人は、被控訴人が、小林の依頼により、有坂医師の診査報状によることなく改めて被控訴人の社医による診査をし、しかもその血液検査の結果、異常な数値があったことから、小林が加入しようとした保険金二億円の一時払保険につき、内規に忠実に一旦は加入を拒絶した事実があるとし、この点から被控訴人の過失を主張する。しかしながら、小林からの再検査の申入れは、有坂医師の検査では血圧が高い数値になったことにより、本件保険契約が締結されなくなることを小林がおそれたことを理由とするもので、血圧以外の検査結果につき異常があって被控訴人の社医による再診査をもとめたものではなく、しかも、再検査の結果は前認定のとおりで、小林が慢性肝炎ないしC型慢性肝炎に罹患していることを窺わせるものではなかったのであり、また、被控訴人が一旦「加入拒絶」の結論を出したことはなく、一時払保険であれば保険料についての特別条件が付加できないので、被控訴人の社医から「不可」という意見が出されたにすぎないのであるから、控訴人の右主張はその前提を欠き失当である。
(三) 以上のとおりであるから、被控訴人には過失があることはもとより、重要事実を知っていたとさえいえる旨の控訴人の主張は、採用することができない。
よって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 清水湛 裁判官 瀬戸正義 裁判官 小林正)